もし明日死ぬなら何する?
って会話一度はしたことあるんじゃないでしょうか。
この手の会話って何の意味もねぇよなっていつも思うんです
だってほんとにそうならないとわからないものだもんって
でもまぁ面白いですよね。
宝くじ当たったらどう使う?と似たようなもので…
ちょっとだけ掘り下げると、
「明日自分だけ死ぬ」
と
「世界自体が明日で無くなる」
では回答が違ってくるんですよね~
違うパターンでいうと、
「もし明日死ぬなら何する」に回答するものと、
ほんとのガチでそうなったときに何するか
の違い
※まぁこれは余命宣告を実際受けた人でないと差を比べようがないのですが
そこの差って意外と違うんじゃないかなって
思うんですよ。
むしろその「差」が趣があって…
先日これ観ました
国家繁栄維持法っていうものがあり、18歳~24歳でランダムで死ぬ(宣告されて)っていう。
なんでそういう法律があるかというと、
まぁ死ぬかもしれないって皆生きるので、その「危機感」こそが「生命の価値」に対する国民の意識を高め、社会の生産性を向上させると謳われているって感じの設定でのお話
もちろん、その宣告された人や身内は辛いんですよ。でまぁいろいろ人間模様があるって感じです。
話自体も面白いですが、まぁ山田孝之の演技が◎でした。
僕はそんなに必死で生きなくていいんじゃないかなって思うんですが、※実際必死では生きてないしな…
たまには「命の大切さ」や「生きてる有難さ」を考えてみるのもいいんじゃないでしょうか。
んでですね、暇があったら前述した
「明日自分だけ死ぬ」
と
「世界自体が明日で無くなる」
の回答の
差
を考えてみてください。
これはさっきの映画関係ないですが、個人的に
人間の汚さ
ってのが出て面白いと思います。