真面目な話ですが、
絶対にやってやるという強い意志があります。
僕が家庭教師をしている何人かの生徒の中の一人に
いじめを受けていた子がいます。
その子は強いですね、部活は辞めざるを得なかったそうですが、学校は休まず行って、
僕にはこう言いました。
「いじめていた子を勉強では見返したい」と
僕にはどれだけ力を貸すことが出来るかわかりませんが、僕の出来ることはすべて注ぎたいと思いました。
僕はいつも、
「人は悔しさで生きている」
と思っています。
でも、本当に教えたいことは
見返す=自己満足で
それは◎ですが、
「支配」ではなく、「見返したという自分に対する満足」
でなければならないということ
合わせて僕が僕に思わなければならないのが、
してやった(やりきった)という自己満足だけであり、なんら支配ではないという事
たくさんの場面でこれが適応されるのではないでしょうか
助けてあげた
手伝ってあげた
愛してあげた
それをしても支配にはなってなく、
自己満なだけではないか、
それはオナニーではないか?
相手はどう想っているか、なにを望んでいるか?
見返したいという気持ちは、この上ない原動力になって◎ですが、
本当に教えてあげたいことは、ちょと違う
なんて言ってる自分が出来てもないことで
最近反省をしていたところです。
なのでそんなこと言えた立場ではないのですが、
そう最近学んだので、強く思うのかもしれません。
「待つ」と「許す」はこの上ない優しさだと思います
あ、全然おもろない話してしもうた…
真面目な話しが似合わんなって点ではオモロいで?
結果面白い◎